今岡誠 独占手記〜苦しい時、支えてくださった方々に感謝〜
 ―監督に 末永スカウトに―

視界がかすんだ。ペナントを持つ手が震えた。星野監督の胴上げには、真っ先に駆けつけて支えると決めていた。その直後の場内1周。いろんな思いが胸に一度にこみ上げ、目頭が熱くなった。夢のようなシーズンだった。今、本当に最高の気分だ。

星野監督が阪神に来た時のことは、鮮明に覚えている。入団当時の7年前、阪神には負けて当たり前のような雰囲気があった。周囲も最下位脱出を、といった論調だった。それまでの首脳陣は「Aクラスも無理や」と言うこともあった。そんな4年連続最下位のチームで星野監督は最初に「優勝するんや」と言われた。その一言で「優勝」が明確な目標になった。

ボク自身も、00年は40試合出場にとどまったり、苦しい時期が続いていた。いろんなことを言われた。ただ、実績のないボクは何も言えなかった。家族に悔しさをぶつけたこともあった。あきらめてはいなかったけど、野球に対して自信をなくしていた。それが、星野監督の下で1年目に結果が出た。今は野球人生の総てがいいものだった。そう言い切ることができる。

「1番・今岡」も星野監督がつくってくれた。昨年3月7日、自分ではまだ補欠と思っていたころだ。オープン戦の巨人戦(札幌ドーム)で、初めて1番になった。そこで6回、前田さんから満塁弾を打つことができた。それまで自分が1番を打つなんて、考えたこともなかった。あの一発が大きな転機になった。

星野監督とは、今年は個人的に話すことは少なくなった。ただ、春季キャンプに右太もも痛でリタイアした時は、金本さんと2人でトレーナー室で怒鳴られた。「新人と違うんや!てめえの体くらい壊れる前に面倒見んかい!」。信頼を置いてくれているからかどうかは分からない。でも、そのひと言が身にしみた。

今季は開幕当初は結果が出ず、一体どうなるんやろうと思った。6月には自打球、8月末には左肩痛の上、腸炎にも苦しんだ。足に力が入らず、4キロ体重が減った。途中交代を申し入れたのも初めて。病院では入院したらすぐ治ると言われた。でもチームには大きな目標があった。「休む」とは言えなかった。

ようやく栄冠をつかむことができた。今はチーム関係者、この日、スタンドで見守ってくれた妻・梨恵、息子・稜はもちろん、苦しい時期に支えてくれた方々に、感謝の気持ちがこみ上げている。「阪神を君の力で優勝させてほしい」と言ってくださった末永さん(元阪神チーフスカウト)には、2軍時代にも電話をいただいた。「自分を信じろ」。そんな言葉に支えられた。今回の優勝で、少しは恩返しができたと思う。続く日本シリーズでも、もちろん狙うは日本一だ。残るリーグ戦では、初めてのタイトルの可能性も残っている。打率、安打数もここまで来れたのだから、こだわりたい気持ちはある。それでもボクがここまでやれたのも、チームのおかげ。まずはシリーズに向けて万全の態勢を整えたい。

対戦相手になりそうなダイエーの詳しい分析はまだ。それでも、大学時代に同じリーグで対戦し、同期入団の井口は、個人的に気になる存在だ。

アトランタ五輪の決勝戦など、何度かしびれる試合を経験した。この日は試合に出ることはできなかったけど、シーズンを通して優勝には貢献できたと思う。この優勝は、ボクの人生で最高の宝物だ。これからも、タイガースと共に上を目指して歩んでいきたい。(阪神タイガース内野手)

 
スポーツニッポン 2003/09/16